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松田聖子「死んでもこういう仕事につかせたくない」と娘・沙也加のデビューに反対していた

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松田聖子「死んでもこういう仕事につかせたくない」と娘・沙也加のデビューに反対していた

芸能事務所『サンミュージックプロダクション』の創業者で、数多くのタレントを世に送り出してきた相澤秀禎代表取締役会長(享年83)の通夜が28日、東京・青山葬儀所で営まれ、サンミュージック所属タレント第1号の森田健作千葉県知事や酒井法子など約1500人が参列した。

この中には、デビュー前に相澤会長宅に下宿生として住み込み、芸能人としての基礎を学んだ松田聖子の姿もあった。聖子は、デビューから10年間、サンミュージックに所属。89年に独立したが、07年には業務提携契約を結ぶ形で復帰している。

聖子の横には、娘である神田沙也加も寄り添っていた。現在、沙也加は聖子の事務所『ファンティック』に所属し、 母親と二人三脚で芸能活動を行なっている。

だが、松田聖子が神田正輝と結婚する3年ほど前、20歳のときに出版した『青色のタペストリー』(82年12月発行、CBS・ソニー出版)には、こう書かれていた。


<将来私に息子や娘がいて、どうしても歌手になりたいといったら、私はどんなことをしても反対します。
 そのかわり、自分が生まれ変わってなにかをやり直すとしたら、私はもういちど歌手になります。
 私の子どもたちには、死んでもこういう仕事につかせたくない。でも、私はもういちど歌手になりたい。矛盾しているようですけれども、これがいまの私のいちばん正直な気持ちなんです。
 いまから何年後かに、私はきっと誰かの奥さんになって暖かい家庭をきずいていることでしょう。
 居間にはデビュー以来切り抜いてきた私のアルバムや、写真集が置いてあります。そこへ私の息子や娘がやってきて聞くんです。
「ママー、これなあに?」
「これはね、ママがいちばんがんばって生きてきた時代の写真よ」
といっていろんなことを話してやります。
 するときっと彼らはいうでしょうね。
「いいなあ、私もやりたいな」
 その時、私はきっとこわい顔して、
「あなたはダメなの!」
って、どなるでしょう。>

芸能界はハードな世界で、寝る暇もなく働いていた当時の聖子は、娘にそんな思いはさせたくないと考えたのだろう。だが、親子の血は争えない。聖子が著書に記してから31年、2人は同じ芸能界という道を歩んでいる。

※写真は松田聖子著『青色のタペストリー』(CBS・ソニー出版)より

【関連情報】
松田聖子『青色のタペストリー』
http://www.amazon.co.jp/%E9%9D%92%E8%89%B2%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC-%E6%9D%BE%E7%94%B0-%E8%81%96%E5%AD%90/dp/478970064X/

夕刊ガジェット通信


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